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カテゴリ:歴史小説のエントリー一覧

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  • 西郷隆盛の手紙

    「なんでも鑑定団」:左の文字をクリックすると、西郷隆盛が月照と入水したことを書いた手紙が、この番組に出品された際の動画が見られます。 西郷の手紙によると、月照の体は魚に食べられたとあるけど、新納駿河(にいろするが)の事件顛末書には遺体を引き上げ、南林寺に葬ったと書いてあるようだから、どちらが正しいのでしょうか。西郷は入水事件後に蟄居し、また奄美大島に四年間、流されるので、この手紙をいつ書いたのかわ...

  • 対馬島主宗義調(本文)

              一、 三張りの白帆を満々と膨らませ、一艘の関船(せきぶね)が折からの順風に身を任せ、対馬の東岸を北上していた。時は天正十五年(一五八七)五月、天気晴朗。 関船は早船とも称したが、柳の葉のごとく船首を尖らせた快速艇のことである。その舳先に立った柳川調信(しげのぶ)は緑なす山々が海へ切り立ち、赤茶けた岩礁が波に洗われているのを眼にするや、幾度見ても対馬は山ばかりだ。対馬にいま少しの平地が...

  • 月照入水

          一、 鹿児島市中を甲突川(こうつきがわ)は西から東へ流れ、錦江湾に注ぐ。この川の浜寄りに架けられた高麗橋(こまばし)の欄干に差し掛かったところで、僧月照がこれから出向くつもりの上之園町(うえのそのちょう)の西郷吉之助(後の隆盛)の借家あたりを見やり、足を停めた。 安政五年(一八五八)十一月十一日、早朝のことである。 甲突川の川面は朝の陽光に照らされてきらきらと輝き、眼に眩しいほどである。だがその...

  • 対馬島主宗義調(つしまとうしゅそうよししげ)

    2000年鳥羽市マリン文学賞入選作品です。本文は後日、掲載します。 あらすじ 対馬は日本と朝鮮を結ぶ交通線上に位置し、かつその島土は山ばかりであったために、朝鮮への朝貢貿易、および倭寇の取締りによって、宗家は対馬統治権を朝鮮より認知されていた。天正十五年(1587)五月、それだけに秀吉が朝鮮へ出兵すると記した書状を宗家に送り付けたことは、宗家にとって決して看過し得る事態ではなかった。 宗義調は隠居して御西...

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