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3:はじめまして by かおっぺ on 2009/04/07 at 22:33:23 (コメント編集)

こんばんは。
色々と拝読させていただきましたが、どんどん作品や日記がアップされるので追いつきません~。
しかし、金子氏のお話は本当に興味深く読ませていただきました。
わたしは詩集を一冊持っているだけですが、もう少し触れてみたいものだと思いました。
野球の話やら映画の話やら、TAKATOOさまの引出の多さに私の方が置いてきぼりにならないように、喰らいついていきたい所存です(笑)
ではでは、また遊びに来させてください。

4:歓迎します by 高遠 on 2009/04/07 at 23:31:20 (コメント編集)

かおっぺ 様

 ようこそ、いらっしゃいました。ブログ友だちというのがまったくいないので、ただ道を歩いていただけなのに、「お嬢さん、寄ってらっしゃい、こちの水はあ~まいよ」と無理やり客引きしたみたいで、恐縮です。
 ご指摘のように引き出しは多いと自認していますが、中にはガラクタばかり入っているので、こうやって虫干ししなくちゃなと、感じています。それに書評なんか、今年に入って読んだ本を、記憶を掘り起こしながら書いています。取り合えず、桜の季節が終るまでは毎日、更新するつもりなので、また覗きに来てください。
 かおっぺさんのブログにも、また寄らせていただきます。

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金子みすゞを憂う

 この文章は京都のミニ新聞「えんじゅ」(現在は廃刊)に、三回にわたって寄稿させていただいたものです。

        一、金子みすゞの人生を憂う

 金子みすゞを知らない方のために、まず彼女の簡単な略歴を記す。

明治三十六年(一九〇三) 山口県仙崎村(現在の長門市)で生誕。
大正十二年(一九二三)  下関へ移住、童謡雑誌への投稿を始める。
昭和五年(一九三〇)   下関にて服毒死、享年二十六。

 実にこれだけのあまりに短い生涯である。この間に彼女は高等女学校の卒業、結婚、出産、離婚を経験する。また彼女は「幻の童謡詩人」と喧伝されるが、詩作を生業としたプロ作家ではなかつたことは特記すべきであろう。
 にも関わらず彼女の詩は小学校の国語や道徳の教科書に多く掲載されている。その中で最も多く掲載されているのが有名な「みんなちがって、みんないい」で終わる「私と小鳥と鈴と」と題された詩である。
 さて今回から三回にわたって彼女の人生とその詩について考察を加える予定だが、紙幅の都合上、三点に絞って言及したい。まず最初に彼女の人生観、次に彼女の自殺、最後に彼女の才能と現在における意義について言及する予定である。
 そこでまず彼女の人生観について考えるにあたり、彼女が自分の人生を比喩を加えて詠んだと思える詩を読者へ紹介しようかと私は考えたのだが、彼女は非常に多岐かつ色彩のまったく異なる詩、換言すれば生きる喜びにあふれた詩も、逆に人生をあきらめたとしか思えない詩も書いているので、一篇の詩へ解釈を加えて云々するのはあまりにも暴論であり、かつ私は自らの主観を読者へ強要するのは本意ではないので、私が個人的に心をとらえて放さない詩を読者へ紹介することで読者と共に彼女の詩と人生を考えてみたい。
 まず次の詩を読んで頂きたい。

 「野茨の花」
白い花びら/刺のなか、/「おうお、痛かろ。」/そよ風が、/駈けてたすけに/行ったらば、
ほろり、ほろりと/散りました。
白い花びら/土の上、/「おうお、寒かろ。」/お日さまが、/そっと、照らして/ぬくめたら、
茶いろになって/枯れました。

 この詩のテーマは「拒絶」である。しかも「善意の拒絶」である。かつて「同情するなら金をくれ」という流行語があったと記憶するが、この詩の主張は「同情するなら無視をしろ」である。
 私はこの「野茨の花」を読むと、胸が締めつけられる。それは彼女が二十六歳という若さで自殺し、私が彼女の自殺についてさほど「同情」していないからかもしれない。そこで次回は彼女の自殺について論考を加える。

       二、金子みすゞの自殺を憂う

 金子みすゞは大正十五(一九二二六)年、二十三歳で結婚し、昭和五年(一九三〇)年、離婚し、かつ同年に自殺する。二十六歳であった。この間の事情は矢崎節夫氏の著作「童謡詩人金子みすゞの生涯」(JULA出版局)に詳しいので詳細は割愛するが、彼女が淋病におかされていた点と、自殺の時点で彼女は三才の娘の母親であった点だけは特記したい。
 矢崎氏は同著の中で「自分のいのちを娘のために使うこと」を彼女は決意したと記され、また別の著作では彼女の死は自殺ではなく、抵抗のための「自死」だと記されている。補足すれば、離婚した夫へ娘を養育させたくないために自分の生命を賭けて、夫へ娘の引き渡しを拒否した。当時は女性の地位が非常に低かつたから、彼女はそうするより仕方がなかったんだという論調である。
 私は矢崎氏のこの論調にどうしても与(くみ)することができない。はたして本当にそうだろうか、娘にとって母が自殺するのと、たとえ離れて暮らしても、いつかは会えると思って育つのでは、どちらか娘にとって幸せかは論ずるまでもないかと考える。
 みすゞは娘を遺して自殺した。このことを念頭に置いて次の詩を読んで頂きたい。

 「冬の雨」
「母さま、母さま、ちょいと見て、/雪がまじって降っててよ。」
「ああ、降るのね。」とお母さま、/お裁縫(しごと)としているお母さま。
氷雨の街をときどき行くは、/みんな似たような傘ばかり。
「母さま、それでも七つ寝りゃ、/やっぱり正月来るでしょうか。」
「ああ、来るのよ。」とお母さま、/春着縫ってるお母さま。
このぬかるみが河ならいいな、/ひろい海なら、なおいいな。
「母さま、お舟が通るのよ、ぎいちら、ぎいちら、櫓をおして。」
「まあ、馬鹿だね。」とお母さま、/こちら向かないお母さま。
さみしくあてる、左の頬に、/つめたいつめたい硝子です。

 この詩は彼女の全集の最後近くに掲載されている。私はこの詩の母は彼女の実際の母だと考え、そう拙著に書いたんだが、もしかしたらこの詩の(こちら向かないお母さま)は、みすゞ自身かもしれないと最近は考えている。とすれば彼女は娘に(さみしく、つめたい)思いをさせるのは承知の上で自殺するんだと、この詩で訴えたかつたんだろうか。
 一篇の詩の解釈を以て彼女の深層心理まで言及するのは私の得意とするところだが、最終回はそれを戒め、彼女の才能について論ずる。

        三、金子みすゞの才能を憂う

 金子みすゞは詩才に満ち満ちていた。そのことを私が彼女の最も技巧的な作品だと評価している次の詩を解釈することで、証明を試みよう。

 「蜂と神さま」
蜂はお花のなかに、/お花はお庭のなかに、/お庭は土塀のなかに、/土塀は町のなかに、/町は日本のなかに、/日本は世界のなかに、/世界は神さまのなかに、
そうして、そうして、神さまは、/小っちゃな蜂のなかに。

 この詩の素材は小から大へと発展し、かつ最後に神が蜂の中に実在するとうたうことにより、この詩の素材は永遠に循環する。私はこの技法を「素材循環法」と命名したんだが、その着想の斬新さには驚嘆する。
 またこの詩では視覚と観念が二等分される点にも注目して欲しい。すなわち土塀まで視覚だが、町以降は観念である。しかし最後に神が観念の究極だが、視覚である蜂の中にいるとうたうことにより、神の実在を啓示する。実に計算され尽くした作品である。これに匹敵する技巧的なもう一作品も見て頂きたい。

 「さよなら」
降りる子は海に、/乗る子は山に。
船はさんばしに、/さんばしは船に。
鐘の音は鐘に、/けむりは町に。
町は昼間に、/夕日は空に。
私もしましょ、/さよならしましょ。
きょうの私に、/さよならしましょ。

 この詩の秀でている点は第一連と二連で相対する素材を対比させ、かつ第三連と四連では時間の推移を巧みな比喩で形容した点にあると考える。夕暮れることを(町が昼間に)、夜になることを(夕日が空に)さよならするからだと擬人化して書く彼女の詩才には舌を巻く。そして最後に(きょうの私に、/さよならしましょ。)とストンと落とされては、私は称賛の言葉を見出せない。
 落ち込み、あるいは自己嫌悪、そして自己改革の願望は誰の心中にもあるかと思うが、その思いをこんな平明な語旬だけで書き切るところに金子みすゞの真価があると私は考える。
金子みすゞは五年の問に五百余りの詩を作り、流星のごとく世を去った。その中には「半熟、稚拙、論外」あるいは「日記に過ぎない」と私が酷評した作品もあるが、それ以上にこちらの“度肝"を抜く作品も数え切れない。
 彼女が「みすゞさん」と呼ばれていたずらに偶像化されることなく、一詩人としてのその真価を多くの人に考えてほしいと願うばかりである。金子みすゞを詩人を志す多くの若い人、そして難解を以て善しとする現代詩の愛好者に、もっともっと読んでほしいと切望する。
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3:はじめまして by かおっぺ on 2009/04/07 at 22:33:23 (コメント編集)

こんばんは。
色々と拝読させていただきましたが、どんどん作品や日記がアップされるので追いつきません~。
しかし、金子氏のお話は本当に興味深く読ませていただきました。
わたしは詩集を一冊持っているだけですが、もう少し触れてみたいものだと思いました。
野球の話やら映画の話やら、TAKATOOさまの引出の多さに私の方が置いてきぼりにならないように、喰らいついていきたい所存です(笑)
ではでは、また遊びに来させてください。

4:歓迎します by 高遠 on 2009/04/07 at 23:31:20 (コメント編集)

かおっぺ 様

 ようこそ、いらっしゃいました。ブログ友だちというのがまったくいないので、ただ道を歩いていただけなのに、「お嬢さん、寄ってらっしゃい、こちの水はあ~まいよ」と無理やり客引きしたみたいで、恐縮です。
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