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「僕はパパを殺すことに決めた」草薙厚子 ☆

 2006年6月に起きた奈良県田原本町で起きた、東大寺学園高校1年の少年による放火殺人事件を取り扱ったノンフイクションである。この事件で少年の継母と血のつながらない弟妹の三人が犠牲になった。また取材源である精神科医の崎濱医師が供述調書を著者へ漏らしたとして、秘密漏示罪で逮捕・起訴され、懲役4か月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。本書は崎濱氏が逮捕される原因となっただけに、前々から読みたいと思っていたが、たまたま図書館で借り出して読むことができた。
 まず本書の概要から解説すると、そのほとんど7割近くが供述調書の原文で占められている。著者は3000枚にわたる調書を見せられた(もちろん誰からとは本書では書かれていないが)が、その調書は少年だけでなく、少年の父、実母、実母の母、父方の祖父母、小学校教師と多岐にわたる。しかしそのほとんどを占めるのは、少年と少年の父であり、二人の確執、わかりやすくいえば父の少年を、別れた妻を見返すためにも、自分と同じ医者にしたいという過度な期待と、少年の成績不振や不正(父の暴行を恐れての成績表改ざんやカンニング)に対する父の暴行が描かれている。さて本書を読み、いくつか疑問に感じたことを書く。
1.供述調書に対する著者の姿勢
 著者は供述調書をほぼ無批判に引用し、またその信憑性に関して特に疑問を示していない。しかもそこには「自分だけが真実を知っている」というおごりが見える。それも如実に示すのが下記の記述である。「少年が逃げている間に何をしていたのかについては、私が週刊誌や月刊誌にレポートを寄せた以外は、これまでいっさい報じられていない。私は供述調書により、その全貌を掴んでいる」。供述調書というのは、いうまでもなく警察などが公判に向けて、本人の陳述を基に作製するものだから、それが外部のライターの手にわたるというのは考えにくいのだが、著者はそれを精神鑑定を依頼された崎濱医師から入手(公判で取材源を表明したため、草薙氏は一部マスコミから批難を浴びている)し、かつ原文のママ掲載しない、また出版前にゲラを見せるという崎濱氏との約束を反故にして、出版している。その道義的責任は大きいと思われるが、供述調書を本書の柱とし、それに対してコメントを草薙氏が書き込むという手法も、ライターとしての手腕に疑問に感じた。
2.取材の甘さ
 本書では死亡した少年の継母だけが実名で登場する。これは少年の母方の祖父母から了解を得、一部マスコミが報じた「継子いじめ」が放火の原因ではないという祖父母の訴えに、著者が共感したためである。しかし著者は父親・実母・実母の父母からは、いずれも取材を拒否されているため、彼らの供述調書へコメントを加えるだけにとどまっている。父親は加害者である少年の父であり、被害者の夫であり、父である。そんな父親を取材するのは容易なことではないと思えるが、しかし母方の祖父母や職場の人間関係を通じて、父親への接触は不可能ではなかったかと思われる。それを「供述調書」を引用し、それにコメントを加えるだけの手法で文章を進めるのは、いわば「禁断の果実」を口にしたために、その毒が全身にまわり、取材をおろそかにしてしまったように思えてならない。
 その顕著な例が、少年の通っていた塾に関する「調書」の記述である。少年は難関の私立中高一貫の東大寺学園を「パパに言われて」目指すのだが、小5のときに市田塾から稲田塾へ移っている。その理由を父親は供述調書で「市田塾では顔をつねるなどの体罰が行われたからだ」と述べている。これに対して草薙氏は、「塾に乗り込んで机をひっくり返したのは、父親なりの愛情の発露だったのであろう」と述べるだけで、市田塾へ取材し、裏づけを取った形跡は窺えない。塾にとって「体罰」を行っていたという記述は、名誉毀損または営業妨害にもあたるかと思うが、ただ父親の供述調書を掲載するだけで済ませる著者の態度には驚くばかりだった。市田塾はネットで調べたら、現在も奈良の中堅塾として営業しているようだが、事実かどうかはともかくとして、このような一方的な「記述」が大手出版社の講談社の書籍に記されていることについて、どう思っているのだろうかと、他人事ながら同情してしまった。
3.少年の「障害」に関する記述
 崎濱医師が著者へ供述調書を見せたのは、少年の犯行の原因が「広汎性発達障害」にあると考え、この病気について世間でもっと知ってほしいと考えたことが動機と、新聞で読んだことがある。そこで草薙氏も「第九章/少年が抱えていた「障害」」と小見出しを立てて、少年の犯行の動機を探ろうとするのだが、この記述が実に浅い。ほとんどが鑑定書からの引用であり、筆者の意見は「奈良の少年もそうだろう。通常の感覚では理解しがたい数々の行動は、この特質によって引き起こされたと考えるのが妥当のように思える。(一行空白)しかし、それでもなお、私の心中のざわめきは消えない。(中略)。少年の本当の気持ちを知ろうとするのは、しょせん空しい試みなのか---。一つだけ言えることがあるとすれば、少年はあまりに孤独だった」と、最後に記述している程度である。この核心部分を、結局は「孤独」の一言で片付けてしまうのは、あまりに安直に思え、失望を禁じえなかった。
 以上、かなり辛辣な意見を述べたが、供述調書というものになかなか触れる機会はないので、ある事件の「供述調書」の「資料集」と割り切って、草薙氏の取捨選択があったことも当然念頭に置きながら読むと、たとえば犯罪小説を書く上で、かなり参考になる。しかし、それ以上はあまり期待しないほうがいいだろう。
 ところで崎濱氏の裁判では、草薙氏は傍聴にも訪れず、また判決が出た際にも「抗議」のコメントを発表するだけで、崎濱氏からは「供述調書を見せたことは後悔していないが、見せた相手については後悔している」と批難されている。本書を読み、崎濱氏のコメントに大いに共感せずにはいられなかった。罪は崎濱氏ではなく、草薙氏と講談社が問われるべきだという見解は、本書を読んでも何ら変わらなかった。
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