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広島大学総合科学部文系H23小論文「合格答案」

〔 設問 〕以下に掲げる資料①から⑥を読み、「成熟」をキーワードとして、千二百字以内で小論文を作成しなさい。論述にあたっては、次の条件に従うものとする。

 一、あなたの小論文に適切な題(タイトル)をつけ、所定の欄に記入すること。
 二、以下の資料①から資料⑥のうち、少なくとも三つの資料に言及すること。
   ①カント「啓蒙とは何か」
   ②赤瀬川原平「老人力」
   ③見田宗介「社会学入門」
   ④岩下久美子「おひとりさま」
   ⑤斎藤環「思春期ポストモダン---成熟はいかにして可能か」
   ⑥江藤淳「成熟と喪失---“母”の崩壊」
 三、言及した資料の番号をすべて、解答用紙末尾の所定の欄に記入すること。(試験時間150分)

〔 答案 〕日本人の精神年齢

 GHQ最高司令官マッカーサーはかつて「日本人の精神年齢は12歳である」と語った。この発言の真意が奈辺にあるかは分からないが、カントのいう自分自身の「悟性」を使用し得ない未成年状態にまだ日本人がいるとの認識をもって彼が発言したとしたら、彼は日本人を「啓蒙」すべきだと考えていたのであろう。
 そのマッカーサーに対し、この発言を知らぬはずのない当時の首相吉田茂は、GHQはそもそも何の略かと質問した。この問いに「Gは何々、Hは何々、Qは」とマッカーサーは真顔で答えたが、吉田は「そうか、わしはてっきりゴーホームクイックリィの略かと思っていたよ」とうそぶいた。イギリス生活の長い吉田らしいウイットに富んだ発言だか、このウイットをキーワードとして、日本社会と人間の「成熟」について考えてみたい。
 岩下久美子は女性がひとりで生きることの難しさを、バーにひとりで入れば「男漁りか」と白い目で見られ、古い体質の旅館に泊まろうとすれば「自殺するかもしれない」と疑われると語る。「どうも、『おひとりさま』は、サービス業から嫌われてしまうよう」だと嘆く。このサービス業に共通して見られるのは、柔軟な発想の欠如であり、ウイットは欠片すら見られない。社会として「成熟」できず、硬直した発想のままの未熟な「体質」を露呈している。
 さらに斎藤環は「近代化された成熟社会とは、未熟さに対して寛容な社会」であると定義し、「子どものままでいていいのなら、いったいどれだけの人が、苦労して成熟したり大人になったりすることを望むだろう」と述べる。斎藤の言うように、人間は成熟を望む生き物であると思われる。日本人の精神年齢は12歳であると語るマッカーサーに対し、「いや、日本人はもっと成熟している。日本人の精神年齢はもっと高い」と、日本人なら誰もが抗弁したいはずだ。しかしそのように直接的には抗弁せず、ウイットに富んだ発言でマッカーサーを煙に巻く老獪な吉田茂の精神的な「成熟」こそ、我々は学ぶべきであろう。
 ところでマッカーサーは同じく敗戦国ドイツのゲルマン民族の精神年齢は45歳であると語った。現代日本の実年齢の45歳の男性は社会的地位を確立するものの、家族を抱え、子どもの教育費やマンションのローンに追われている層が少なくない。また女性は子育てをほぼ終えて一段落ついたものの、社会復帰はままならず、家庭内にて悶々とした日々を過ごしている人も多いと聞く。かつ日本は年間に三万人以上も自殺するが、最も多いのがこの45歳を含む中高年層の男性である。また自殺には至らずとも、何百万もの人がうつ病に苦しみ、中高年層の患者の占める割合も高い。
 未熟な社会にあって、未熟な大人たちが精神的な余裕もなく日々を過ごし、ウイットに富んだ言葉を口にすることもなく、斎藤環の記述を借りれば、ただ「生き延びる」ことを至上のテーマとしているとすれば、あまりに悲しい。(1196字) 参考資料①・④・⑤

 *この程度の文章を書けば、600満点中で550点くらいはもらえるんじゃないかと自負しています。識者ならびに関係各位で、私のように暇で物好きな方の「斧正を乞いたい」。 

後日追記:広島大学文系の過去問題集、いわゆる「赤本」にこの問題の「解答例」が記載されているのを、書店で立ち読みした。それによると執筆者はこの資料①から⑥までのすべてを使って、小論文を完成させている。実に「器用」な執筆者だと感心した。すべての受験生の参考にしてほしいという意図からこのように書いたのだろうが、このために自己の論旨に割くスペースが必然的に少なくなり、論旨が浅く表層的であるという印象は否めなかった。しかしそもそも大学入試の小論文では、この「解答例」に見られるように、先行する研究者の論文を資料として「コピー&ペースト(コピペ)」、これをパソコンなんかなかった私の学生時代は「ハサミとノリ」と呼んで、卒論の指導教官から叱られた思い出があるが、それはともかくそんな「寄せ集め」の論文が書けるようになる人材を求めているのであろうか。その点を大いに疑問を感じるので、受験生諸君は無理してすべての資料を言及しようとせず、自己の論旨を深めて書くことに心がければ、それで十分かと私は思う。
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