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84: by teabreak on 2012/02/25 at 10:54:43 (コメント編集)

高遠様。小生のブログ記事をご紹介いただき有難うございます。小生の記事の続きは、この週末にはアップする予定ですので、ご覧いただければ幸いです。
高遠様のこの記事を拝見しますと、知らなかったことが書かれていて興味深いというか、矢崎氏らの問題性がビビッドに理解できます。
 私も引き続き書いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

※ なおついでで恐縮ですが、次回アップのブログ記事でも書きますが、「著作保存会」の正確な設立年はご存じででしょうか? どこにも書かれておらず、JULAや矢崎氏らもこの点は年譜等でも書いていないのが不思議です。

85:金子みすゞ著作保存会の設立時期 by 高遠 on 2012/02/25 at 13:13:21

 金子みすゞ著作保存会の正確な設立年について、私もかなり調べてみましたが、わかりませんでした。ただ私の持っている金子みすゞ全集―新装版第30刷1998年12月30日発行には、「作品の無断使用を禁ず―連絡先:金子みすゞ著作保存会(JULA出版局内)」と明記されているので、これ以前であると考えられます。だから商標権の出願(199年7月)より前であることは間違いありません。
 みすゞの略年譜は河出書房新社「文芸別冊 総特集 金子身みすゞ 没後70年」が最も詳しいのですが、それによると
1984年2月 金子みすゞ全集刊行
     8月 同上新装版刊行・童謡集「わたしと小鳥と」刊行
1986年8月 長門市に金子みすゞ顕彰会設立
1992年10月 長門市ウエーブに金子みすゞ記念館が開館(現在は閉鎖)
1993年2月 「金子みすゞの生涯」刊行(前述の書からではなく、著書より参考)
1995年3月 童謡集「明るいほうへ」刊行
1998年   童謡集「このみちをゆこうよ」刊行
 とあるので、実に大雑把ですが、1984年~1998年の間かと考えられます。おそらく「金子みすゞの生涯」を出版した1993年前後かと思われます。正確な設立時期はJULA出版局に問い合わせるしかないと思います。教えてくれるかどうかわかりませんが。ただここは「みすゞコスモス」というみすゞのファンクラブを作って、「みすゞ通信」という会報を出していますので、この会員ならばわかるかもしれません。 

86: by teabreak on 2012/02/25 at 17:22:36

早速のご教示ありがとうございました。間もなく、小生のブログの記事の続きをアップしますが、矢崎氏やJULAに拠る説明のように全集出版の84年直後ではなく、本格ブームになり始める93年以降のことではないのだろうか?との疑問を持っていました。
 それであれば、保存会の設立は、遺族への還元云々よりも、みすゞ本の独占、他人の排除・管理が主たる狙いだったのではなかろうか?と感じました。この辺も、後ほど記事で書きたいと思います。
ご教示、有難うございました。

91:驚きました by akigasumi on 2012/03/13 at 10:25:15 (コメント編集)

ご無沙汰してます。

個人名を商標登録するなんてほんとに驚きました。
愛するものに商標?
文春から電話取材を受けました。
近親相姦?さらに驚きました。
文部科学省からのなんらかの動きが必要なんでしょうか。

ちょっと事情があって閉鎖していたのですがまだ生きていましたのでさっそくリンクさせていただいているこちらのお邪魔しました。
そして「しみじみ…」様にもお邪魔しました。
勉強になりました。
ありがとうございます。

92:無茶苦茶ですよね by 高遠 on 2012/03/13 at 16:43:46

 こちらこそ、ご無沙汰してます。

彼らのやっていることは支離滅裂、私利私欲(韻を踏んでみみました)の極みだと思います。
まだ生きていますなんておっしゃらず、これからもがんばってください。

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金子みすゞの商標権について

 iPadが中国の企業より登録商標を申請され、広州の裁判所がその申請を認めたため、物議を醸しているが、「こんなことは日本では考えられない。やはりあの国には知的財産権に対する認識が大きく欠如している。中国は三等国だ」と、安易にあの国を批判してはいけない。日本でも同じようなことをする輩(やから)がいるからである。
 しみじみと朗読に聴き入りたいというサイトを最近よく見ているが、ここに金子みすゞの著作権・商標権・並びに先日の週刊文春の記事について詳しく書き込みがなされているので、紹介させていただきたい。このサイトの管理人:teabreak氏は結婚前に平家物語のカセットテープ十数万円をローンで購入し、新妻に「結婚相手を間違えたかしらん」と目を白黒させるほどの朗読愛好者だが、ここの朗読サイトの紹介は実に充実しているので、私は最近、このサイトに導かれて、文豪たちの名作に耳を傾けている。また氏は根拠をきちんとして論を進められる方なので、著作権についての法的解釈や、過去入試問題集の出版社である「声の教育社」が訴えられた裁判に対して、「声の教育社」を全面擁護する記述は必読と思われる。
 さて私も金子みすゞの商標権について何か書き込もうと思ったのだが、前述のサイトで精密に論じられているので、門外漢の私が屋上屋を架すような愚は戒め、この記事に関連しておそらくteabreak氏の知らないであろう点について書き込みたい。

 1.なぜJULA出版局は「金子みすゞ」の商標登録をしたのか。
 藤辰という蒲鉾店が仙崎にあるが、ここがみすゞの写真と詩を包装用紙に使いたいと考え、矢崎氏に「おうかがい」を立てたが、矢崎氏が「みすゞさんの写真や詩が破り捨てられるのは我慢ならない」というセンチメンタルな理由で激怒し、「みすゞさんを金儲けの道具にするのは許されない」を口実として、商標登録をしたのである。この事実は、長門に住む関係者ならば知らぬ人のない有名な話である。金子みすゞ著作保存会(JULA出版局内にある)は著作権法違反を公然と表明しているから、法的な保護を得るために「商標権」の登録は必要不可欠であった。だがこの申請がおかしなことに認められてしまったために、矢崎氏は長門市で活動するみすゞこうぼうや山口市に拠点を置くみすゞこれくしょんなどみすゞの名を「俺に断りもなく」冠した個人や企業の「営業活動」に対して、商標権という「錦の御旗」を振りかざして圧力といやがらせを行う。その内容はとても「みんなちがって、みんないい」を信奉する者の所作とは思えない卑劣なレベルである。だからみすゞの写真はどこも使わず、似顔絵を使っている。氏は「僕を批判する連中は矢崎にだけ儲けさせてたまるかという根性なんだよ」と週刊誌の記者に語り、自らの行為を正当化しているが、この発言はまさに語るに落ちる、氏の低俗な本質を思わず吐露したものである。
 また矢崎氏に相談なく、みすゞの詩集の出版を進めていたある出版社の社長が湯本温泉(長門市)で開かれたみすゞ忌の際に氏と会い、その旨を報告すると、「あんたは何をしようとしているのか、分かっているのか」と、公衆の面前で声を荒らげて罵倒されたため、その出版社は出版を断念したという噂がある。どこの出版社かは知っているが、迷惑がかかるのでここでは明らかにしない。どうやら矢崎氏は自分の「選」以外で、みすゞの詩集が出版されることが我慢できないらしい。

 2.なぜ金子みすゞ記念館は建てられたのか?
 長門市の前市長(故人)が矢崎氏と馬が合い、いわばツーカーの間柄になったことが大きな要因である。当初、矢崎グループは会で独自に資金を集め、自前で跡地(魚善という寿司屋が廃業中だった。所有者は宇部市在住の個人)を買い取り、そこ記念館を建てる腹づもりだった(だから商標登録に不動産も加えた)が、矢崎氏と昵懇になった前市長が市の「公共事業」として記念館を建設すると打ち上げ、四億円も予算を計上し、議会でもすんなり承認されたため、当初の構想より立派なものができてしまった。下関在住の木原豊美氏が毎日新聞山口県版に寄稿しているが、記念館の敷地はみすゞの育った金子文英堂だけではなく、その隣家の酒屋を壊して建てられたものである。だから記念館へ行き、みすゞは広い家で育ったんだなと感じるのは、「誤解」である。この件に関して木原氏が問題提起している。ただし前述の毎日新聞山口版のサイトは建設館オープン(2003年4月11日・みすゞ生誕100年目の翌日)以前の2001年の寄稿だから、その内容は書かれていない。現在、鋭意調査中である。
 また長門市役所経済観光部観光課の運営するサイト「ななび」では、みすゞの詩碑が紹介されているが、このサイトにはしっかりJULA出版局の名とともに「金子みすゞの詩は金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。詩を転載する場合は…」の文言が明記されている。このことが下関の詩碑にもJULA出版局のクレジットを入れよなどと、とんでもない要求する根拠である。矢崎氏は長門市役所では「天皇」と呼ばれ、記念館の子飼いのK氏を通じなければ電話することも許されないほどの存在だが、氏の実態にうんざりし、長門では彼の存在を「いないほうがいい。館長も辞めてほしい」と思っている人がかなり増えていることは、もっと知られてほしい。

 3.なぜ金子のみすゞの研究や表現を妨害するのか。
 週刊文春の記事によれば青春座の脚本は「近親相姦を扱っているので、ご遺族が不快に思われるから」とJULA出版局の大村代表が上演を「妨害」した理由を語っているが、私のリンク先の「金子みすゞ―その愛」というサイトに橋本和子氏作の「みすゞ哀歌」という脚本が掲載されているので、興味がある方はぜひ読んでいただきたい。この脚本のどこをどう読めば「近親相姦」という発想が出てくるのか、私にはさっぱり理解できなかった。これは「難癖」、換言すれば「いちゃもん」以外の何ものでもないとうのが、私の見解である。
 またいま福岡のデパートで「金子みすゞ展」が開かれているが、いったいいつまでこんな催しを繰り返して「金儲け」するつもりなのだろうか。いや「金儲け」だけが目的ではないのだろう。目的はみすゞの「神格化」そして宗教化にあると思われる。だから著名人に「金子みすゞと私」といった寄稿を依頼し、それをパネルとして大きく展示するのであろう。誰もみすゞの詩や人生を批判せず、ただ「賛美」させる。そのことがはたしてみすゞの詩の研究に貢献するとは私は到底思えない。そして「賛美」以外の論説はすべて排除し、妨害する。なぜならばみすゞの詩は教祖様の「お筆先」なのだから、研究の対象とし、論評を加えるなんぞは「罰当たり」だからである。

 みすゞの魂は「みすゞさん」と呼ばれることを望んでいるのだろうか。自分の詩が優しさや「絆」といった言葉が大好きな人たちの「話のだし」にされて嬉しいのだろうか。「天女」のように空へ帰ってしまったと神格化されて語られることを喜んでいるのだろうか。
 その事をみすゞの詩「私」を読んで、みすゞに聞いてみよう。

どこにだって、私がいるの、/私のほかに、私がいるの。
通りじゃ店の硝子のなかに、/うちへ帰れば時計のなかに。
お台所じゃお盆にいるし、/雨のふる日は、路(みち)までいるの。
けれどもなぜか、いつ見ても、/お空にゃ決していないのよ。

 みすゞの魂はいまどこにいるんだろうか。みすゞはいまどこかでひっそりと泣いているように、私には思えてならない。人の心を惹きつける詩をいくつも書いたために、一詩人として扱ってもらえないみすゞが、可哀想だ。
 
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84: by teabreak on 2012/02/25 at 10:54:43 (コメント編集)

高遠様。小生のブログ記事をご紹介いただき有難うございます。小生の記事の続きは、この週末にはアップする予定ですので、ご覧いただければ幸いです。
高遠様のこの記事を拝見しますと、知らなかったことが書かれていて興味深いというか、矢崎氏らの問題性がビビッドに理解できます。
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85:金子みすゞ著作保存会の設立時期 by 高遠 on 2012/02/25 at 13:13:21

 金子みすゞ著作保存会の正確な設立年について、私もかなり調べてみましたが、わかりませんでした。ただ私の持っている金子みすゞ全集―新装版第30刷1998年12月30日発行には、「作品の無断使用を禁ず―連絡先:金子みすゞ著作保存会(JULA出版局内)」と明記されているので、これ以前であると考えられます。だから商標権の出願(199年7月)より前であることは間違いありません。
 みすゞの略年譜は河出書房新社「文芸別冊 総特集 金子身みすゞ 没後70年」が最も詳しいのですが、それによると
1984年2月 金子みすゞ全集刊行
     8月 同上新装版刊行・童謡集「わたしと小鳥と」刊行
1986年8月 長門市に金子みすゞ顕彰会設立
1992年10月 長門市ウエーブに金子みすゞ記念館が開館(現在は閉鎖)
1993年2月 「金子みすゞの生涯」刊行(前述の書からではなく、著書より参考)
1995年3月 童謡集「明るいほうへ」刊行
1998年   童謡集「このみちをゆこうよ」刊行
 とあるので、実に大雑把ですが、1984年~1998年の間かと考えられます。おそらく「金子みすゞの生涯」を出版した1993年前後かと思われます。正確な設立時期はJULA出版局に問い合わせるしかないと思います。教えてくれるかどうかわかりませんが。ただここは「みすゞコスモス」というみすゞのファンクラブを作って、「みすゞ通信」という会報を出していますので、この会員ならばわかるかもしれません。 

86: by teabreak on 2012/02/25 at 17:22:36

早速のご教示ありがとうございました。間もなく、小生のブログの記事の続きをアップしますが、矢崎氏やJULAに拠る説明のように全集出版の84年直後ではなく、本格ブームになり始める93年以降のことではないのだろうか?との疑問を持っていました。
 それであれば、保存会の設立は、遺族への還元云々よりも、みすゞ本の独占、他人の排除・管理が主たる狙いだったのではなかろうか?と感じました。この辺も、後ほど記事で書きたいと思います。
ご教示、有難うございました。

91:驚きました by akigasumi on 2012/03/13 at 10:25:15 (コメント編集)

ご無沙汰してます。

個人名を商標登録するなんてほんとに驚きました。
愛するものに商標?
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近親相姦?さらに驚きました。
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ちょっと事情があって閉鎖していたのですがまだ生きていましたのでさっそくリンクさせていただいているこちらのお邪魔しました。
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ありがとうございます。

92:無茶苦茶ですよね by 高遠 on 2012/03/13 at 16:43:46

 こちらこそ、ご無沙汰してます。

彼らのやっていることは支離滅裂、私利私欲(韻を踏んでみみました)の極みだと思います。
まだ生きていますなんておっしゃらず、これからもがんばってください。

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