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中国映画「胡同(フートン)のひまわり」

 父と息子の三十年にわたる確執を描いた映画である。私は父親世代だから、こういった父と子の映画を観ると、どうしても父親側に肩入れするのだが、この映画ばかりは息子側に共感を覚えた。例えば、息子の恋人が妊娠したとの手紙が、息子宛に届くシーンがある。それを母親は無断で開封し、父親に告げる。父親は恋人と会い、病院へ連れていき、中絶させる。この事実を知った息子は父親を「何の権利があって、そんなことをしたんだ」となじるが、父親は「おまえのためだ。親子は一心同体だ」とうそぶく。息子は父親を殴ろうとするが殴れず、「親子の縁を切る」と叫んで、家を飛び出す。父親が息子を探しに来たので、息子は凍った池(たぶん北海公園)の上を走って逃げるが、父親は解けた穴に落ちる。息子はやむなく父親に手を差しのべるというシーンがある。息子や恋人の親とも相談せず、勝手に中絶させるなどあまりに無茶苦茶に思えるし、また息子が父親を池から助け出したのは、父親を許したからではなく、人道的な理由からである。
 父親はかつて画家を志したが、文革のために夢破れた。その期待を一心に息子にかけるのだが、その期待が息子を苦しめる。また「高潔」な父親はワイロを渡せず、アパートを割り当ててもらえない。それが母親の最大の不満であり、母親は偽装離婚してアパートを手に入れる。このように父親の「頑固さ」を前面に押し出した映画だが、息子が成長し、美術展も成功し、「孫の顔を見せてくれ」という両親の要求と真摯に向かい合った際に父親がとった行動は「失踪」である。「おいおい、逃げるなよ」と突っ込みたくなり、あきれてしまった。
 またラストでは子どもが産まれた息子の借家の前にひまわりの鉢植えが置かれている。父親が置いたと想像されるが、なぜ父親が孫の誕生を知ったのかは明らかにされていない。
 ところでこの映画の原題は「向陽花」であり、息子の名は「向陽」である。ひまわりは日本語では向日葵と書き、英語ではサンフラワーである。いずれの言語もあの花から太陽を連想する点が面白いと思うが、この映画では「太陽」が何の隠喩なのか、私にはさっぱり理解できなかった。もし太陽が父親の隠喩であるというのが製作者の意図ならば、「不器用な」父親の描きようももっと別にあったのではなかろうかと感じた。
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