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「赤ヘル1975」重松清 ☆☆☆☆

 1975年というより、昭和五十年と元号で呼んだほうが私にはしっくりくるのだが、カープの奇跡の初優勝の軌跡(韻を踏んでみました)を縦軸に、転校生マナブ・野球少年のヤス・漢字が苦手なユキオの三人の中学一年生の友情を横軸に展開する物語である。主人公はマナブだから、「よそモン」を自覚するマナブの視点で物語は進むが、昭和五十年当時の広島の雰囲気がよく描かれ、「原爆文学」としても一級の作品だと感じた。
 しかしさらに感じたのは、重松氏の少年少女の心情をを描くうまさである。転校生のマナブは詐欺師まがいの父と夜逃げ同然に広島へやってくるが、そのマナブの父へ対する「微妙」な思いや、再婚して子どもが生まれることになる母と東京で会ったマナブは自分のかぶっていた巨人の野球帽を母へプレゼントし、カープの野球帽を買ってもらう場面の描写などは秀逸である。ちょっと冷めた存在の真理子という少女の「うちは何もない静かな日の広島が好き」と言わせる場面も胸を打つ。それに山本浩二のそっくりさんが中学生の野球の試合を観戦に来る場面など笑わせる場面も多い。
 それにこの作品を読んでいると、カープ以外にも懐かしい野球選手の実名が続々と登場するので、数十年前の記憶がフラッシュバックするように甦ることがある。それもこの作品の魅力だろう。
 ただエピローグとしてヤスがカープのキャンプ地の日南の天福球場を訪れ、新人の北別府学投手を見て、転校したマナブを想って終わるが、このエピソードは蛇足のように思えた。カープの優勝パレードの日、さよならを告げずにヤスとユキオと別れたマナブが広電の車窓から、千羽鶴を開いて切った千代紙をひとひらだけ京橋川にさしかかったところでまく。このシーンが印象的だっただけに、ここで終わらせてもよかったのではと感じた。
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