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対馬島主宗義調(つしまとうしゅそうよししげ)

2000年鳥羽市マリン文学賞入選作品です。本文は後日、掲載します。

 あらすじ
 対馬は日本と朝鮮を結ぶ交通線上に位置し、かつその島土は山ばかりであったために、朝鮮への朝貢貿易、および倭寇の取締りによって、宗家は対馬統治権を朝鮮より認知されていた。天正十五年(1587)五月、それだけに秀吉が朝鮮へ出兵すると記した書状を宗家に送り付けたことは、宗家にとって決して看過し得る事態ではなかった。
 宗義調は隠居して御西殿と呼ばれ、かつ当年二十歳になる島主宗義智の後見人をつとめていたが、柳川調信と柚谷康広からの報告を受け、対馬存亡の危機を鑑み、再び島主の地位に就くと決意する。そして秀吉へ拝謁すべく、義調は義智と共に博多へ向かう。
 博多の豪商、島井宗室の自宅へ投宿した二人を、小西行長の娘であるキリシタンのマリアが訪問する。マリアの言った「少年使節」について宗室より詳細を聞いた義調は、朝鮮から通信使を招聘し、秀吉へ拝謁させることで時間稼ぎをしたいと考える。
 その翌朝、秀吉へ拝謁すべく筥崎宮へ出向いた義調らを小西行長が待ち構えていた。行長は秀吉が和歌に目覚め、和歌詠みを重んじる傾向があると教える。行長の言に従い、秀吉へ拝謁した義調は自作の和歌を披露した。だがその歌は秀吉へ朝鮮出兵を諫言する歌であった。秀吉は激怒し、義調へ切腹を命ずるが、細川幽斎の返歌により命を救われる。
 秀吉との拝謁を終えて対馬へ帰還した義調は柚谷康広を朝鮮へ派遣したが、何ら事態の好転せぬうちに病に伏せ、急逝した。秀吉拝謁から一年半後のことであった。

 プロ作家3人の評価(選評)
男性I.M.氏:ていねいな仕事は好感が持てるのだが、歴史小説は歴史の一部を切り取っただけではダメで、なぜそこを選んだのか、そのことによって何を訴えたいのかを明確にしなければならない。あたり前の話だが、小説は「オハナシ」であって、事実のドキュメントではないからだ。
 男性M.T.氏:対馬という朝鮮の交易で成り立つ土地の、朝鮮出兵を実現させようという秀吉の目論見の中での悩みをクローズアップさせたのが、面白かった。ただそこに登場する秀吉・細川幽斎・小西行長ら歴史的有名人と、対馬宗家の周辺の人々との関わりが平板に感じられた。中心的な登場人物がいまひとつくっきりすれば、歴史の断面の一風景の域を超えたであろう。
 女性Y.Y.氏:さほど「海」は感じなかったのですが、しっかりした格調の高い文章に引き込まれました。もう少しドラマ性があると、小説としてさらにおもしろくなったかもしれません。
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