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14:むしみず 様 by 高遠 on 2009/04/22 at 00:49:41 (コメント編集)

むしみず 様

 まったく未知の方からコメントをいただくのははじめてです。どこで、このブログをお知りになったのか教えていただければ幸いです。司馬遼太郎についてはいわゆる「司馬史観」について、いつか書く予定にしています。藤沢周平については書いたけど、あと3人
書く予定なので、よかったら引き続き閲覧お願いします。

15:あれ、 by むしみず on 2009/04/22 at 14:23:08

全然違う記事にコメントしてしまってましたね。書き直してる内に間違えたようです。申し訳ありません。

こちらには、googleの検索からです。司馬遼太郎の世間の評価を調べていてたどり着きました。

司馬の作品を読んで以来、歴史小説に対する作者の姿勢に興味を持っています。他の方々の評価も楽しみにしています。

16:むしみず 様 by 高遠 on 2009/04/22 at 15:59:16 (コメント編集)

そうですか、グーグルですか。あれは「高遠信次」で検索すると、ドドッとあれこれ出てきて、「あれ、これは内緒にしたいのに」ということまで出て来るので、いまさらながらですが気をつけたいと思っています。
 ところであなたのブログも拝見し、書き込みさせていただきました。今後ともよろしくお願いします。

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歴史・時代小説論 1)司馬遼太郎

 歴史小説と時代小説はどう違うのかについて、私見を述べたい。この違いを説明するのに、きわめて便利な言葉を森鴎外が書いている。「歴史其儘と歴史離れ」というタイトルの評論がそれである。鴎外の言葉を借りれば、「歴史をそのままを書くのが歴史小説、歴史を離れて時代を書くのが時代小説」と、私は認識している。しかし世間の認識は違うようである。歴史から離れていようとも、歴史上の人物の面白さを生き生きと書くのが歴史小説、おもに江戸時代の下町に生きる町人などの人情噺を書くのが時代小説である、と。
 私は小説であろうと、歴史を歪曲するのは本意ではないので、歴史そのままの歴史小説を書きたいと考え、「対馬島主宗義調」のような作品を仕上げた。しかし「逆説の日本史」の著者に「オハナシ」を書けと忠告されてしまった(このブログで公開している)。どうも歴史をそのままを書いた歴史小説は評判が悪いようである。「調べたことをそのまま書いている」「説明が長い」などと、編集者から注意されたこともある。
 そこで歴史・時代小説を書く大作家五人の作風を考察することで、歴史・時代小説とは何ぞや、ということを考えてみたい。ただし、いずれの大作家も膨大な著作を残しているが、多情な私は一人の作家に入れ込むことができず、どの作家の著作も2~3割程度しか読んだことがない。だからこれは作家論ではなく、小説論であることをあらかじめお断りする。
1)司馬遼太郎
 歴史小説家と耳にして、まずこの作家を取り上げることに誰も異論はないだろう。司馬作品はかなり読んだ。高校時代に「竜馬がゆく」を完読したのがきっかけで、かなり司馬作品を読み漁ったが、「坂の上の雲」「翔ぶが如く」などの大長編は完読できなかった。「長いなぁ~」と思いながら我慢して読んだが、三分の一ほどで挫折した。
 その程度の読者である私が司馬作品について語るのはおこがましいが、「司馬遼太郎は嘘ばかり書く」という評判があるのを知っている以上、司馬作品について語ることをお許しいただきたい。まず、その意見の一つを紹介する。
 司馬作品に「最後の将軍・徳川慶喜」という中篇があるが、松浦玲氏は「徳川慶喜・将軍家の明治維新(中公新書)」の巻末の参考文献でこの作品を取り上げているので、引用する。
(これは分類上疑問の余地なく小説だけれども、歴史論および人物論として大きな影響力を持ったので挙げておく。ただし歴史論にかかわるところで私はあまり賛成できない。それと、こんど読み返してみて、こまかな史実が意外に「事実離れ」していることに気付き、歴史小説と歴史の関係につき、改めて考えさせることがあった。)
 これは歴史家の意見である。松浦氏は「事実離れ」と言葉を選んでいるが、小説ならば「嘘」を書いても許されるのかと、主張したいのだと思われる。
 また司馬作品における人物観だが、私は司馬の好き嫌いに時として戸惑う。その一例として、短編「桜田門外の変」に書かれた井伊直弼の人物像について触れる。
(古来、井伊直弼ほどの暴悪な行政家はまず少なかろう。(中略)。/井伊は政治家というには値しない。(中略)。井伊は本来、固陋な攘夷論者にすぎなかった。(中略)。病的な保守主義者である。/この極端な反動家が、(中略)狂気のように弾圧した。支離滅裂、いわば精神病理学上の対象者である。/とにかく井伊の弾圧には、政見というものがない。多少の妄想からきている。)
 この作品は井伊直弼を討ち果たした薩摩の有村治左衛門が主人公なので、井伊については人物評を司馬は書いているだけだが、ここまで「断定」されると、私は首を傾げざるを得ない。舟橋聖一の「花の生涯」ではもっと違ったように井伊は書かれていたと思うが、とまれ一人の人物をここまで悪し様に書く点については疑問を禁じえない。
 一方、司馬が好んだ人物の描写を見てみよう。長編「燃えよ剣」から土方歳三の登場シーンを紹介する。
(背がたかい。肩はばが広く、腰がしなやかで、しかも腰を沈めるように歩く。眼のある者からみれば、よほど剣の修行をつんだ者の歩き方であった。/顔は紺地幅広の手拭でつつみ、頬かぶりのはしを粋に胸まで垂れている。/洒落者であった。/手拭一本でも自分なりに工夫して、しかもそれが妙に似合う男だった。/(中略)しかし頬かぶりよりも、頬かぶりの下に光っている眼がこの男の特徴だった。大きく二重の切れ長の眼で、女たちから「涼しい」とさわがれた。)
 土方歳三は箱館戦争を前に映した写真が現存するが、たしかに切れ長の目をした、いまでいうならイケメンだと私も思う。しかし新撰組の血の粛清の愚かしさを知り、その多くが土方の命令によるものだったことを考えれば、私は司馬ほど土方を好きにはなれない。
 誤解してほしくないが、私は井伊を評価し、土方を軽んじようというのではない。ただ自分の好き嫌いだけで、歴史上の一人物を高くも低くも取り上げることの意義とその影響について、司馬はどう考えていたのだろうかという点を知りたいのである。
 司馬は坂本龍馬のリョウの字を、作品では「竜馬がゆく」としたことについて、史実ではなくフィクションだからと語っているようだ。しかし、この作品の影響がきわめて大きく、そのため「龍馬」と「竜馬」が混在して普及してしまったように思われる。それほど司馬の影響は大きい。
 司馬は歴史小説を書くことをどう考えていたのか? その答えは司馬自身に語ってもらうのがベストであろう。随筆「歴史と小説(文藝春秋)」の中に「歴史小説を書くこと---なぜ私は歴史小説を書くか」という興味深い一文があるが、その一部を紹介する。
(某という人物その人生というものは、その某の人生が完結したあと、時間がたてばたつほど、私にとって好材料になるようである。時間が経たねば、俯瞰ができない。俯瞰、上から見下ろす。そういう角度が、私という作家には適している。たとえばビルの屋上から群衆を見おろし、その群衆のなかのその某の動き、運命、心理、表情を見おろしてゆく。この俯瞰法(つまり歴史小説をかく視角)で某を見るばあい、筆者は某そのひと以上に某の運命とその環境、そしてその最期、さらには某の存在と行動がおよぼしたあとあとの影響、というものを知ることができる。たとえば織田信長を書く場合、どのような粗雑な態度の筆者でも、信長自身が知らなかったたった一つのことだけは知っている。それは本能寺でかれが自分の部将に殺される、という運命である。/歴史小説は、そういう視点に立っている。そういう視点でものを見ることの好きな、もしくは得手なひとが、歴史小説を書くのだろう。私もその一人である。)
 この一文はきわめて示唆に富むので、長々と引用した。司馬は俯瞰法で歴史上の一人物を見、そして書いている。さらに「鳥の眼、虫の眼」で歴史を見、書いているといったことも何か(たぶん「このくにのかたち」だったと思うが、あいにく手元にないので確認できない)に書いていたはずだ。しかしこれは意地の悪い表現をすれば、「司馬は自分が見た龍馬」を書いているに過ぎないと告白しているに等しい。だから「竜馬」なのであろう。
 無論、作家が歴史上の一人物を取り上げて書く場合、「主観」は絶対に必要であり、主観なしにはどんな人物も書くことはできない。しかし司馬の場合は、その主観があまりに作品の中で「濃すぎやしないか」、また司馬作品の愛読者と出版社は司馬の主観に対して、あまりにも「従順」すぎやしないかというのが、私の司馬に対する見解である。
 司馬についてはとてもこの分量では書き足らない。読みやすさを重視したためか、改行が異常に多く、またかなりの漢字をひらがなで書くなどの点についても述べたいのだが、この文章は司馬について書くだけでなく、五人の歴史・時代小説の大作家の作品を通じて、歴史・時代小説とは何かを探ることを主眼としているので、ここで言及を終える。
 次回は藤沢周平について書く。以降は吉村昭・吉川英治・山本周五郎を予定している。
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14:むしみず 様 by 高遠 on 2009/04/22 at 00:49:41 (コメント編集)

むしみず 様

 まったく未知の方からコメントをいただくのははじめてです。どこで、このブログをお知りになったのか教えていただければ幸いです。司馬遼太郎についてはいわゆる「司馬史観」について、いつか書く予定にしています。藤沢周平については書いたけど、あと3人
書く予定なので、よかったら引き続き閲覧お願いします。

15:あれ、 by むしみず on 2009/04/22 at 14:23:08

全然違う記事にコメントしてしまってましたね。書き直してる内に間違えたようです。申し訳ありません。

こちらには、googleの検索からです。司馬遼太郎の世間の評価を調べていてたどり着きました。

司馬の作品を読んで以来、歴史小説に対する作者の姿勢に興味を持っています。他の方々の評価も楽しみにしています。

16:むしみず 様 by 高遠 on 2009/04/22 at 15:59:16 (コメント編集)

そうですか、グーグルですか。あれは「高遠信次」で検索すると、ドドッとあれこれ出てきて、「あれ、これは内緒にしたいのに」ということまで出て来るので、いまさらながらですが気をつけたいと思っています。
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