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17:こんばんは by むしみず on 2009/04/23 at 23:21:30

吉村昭への評価、結構手厳しいですね。
でも、おっしゃることも分かるような気がします。
以前、知り合いに吉村の作品(歴史物ではないですが)を貸したときに、返ってきた感想を思い出しました。知人が言うには、「これは小説ではない。なぜなら、作者の主観が見えないから。」とのことでした。それを聞いて、人の小説観もさまざまだな、と思ったことを思い起こしました。

18:手厳しいかなあ? by 高遠 on 2009/04/24 at 00:33:01 (コメント編集)

むしみず様

 読んでくれてありがとう。私が吉村を尊敬していることは文面から、また読んでくれたかどうかわからないけど、彼の影響を受けて史実に忠実に書いた「対馬島主宗義調」のような作品からも伺えると思います。ただ小説はやはり面白くないといけない、「フィクションを構築しない」といけない意識があり、その意味で、吉村の小説はどうしても面白くないと感じてしまうのです。

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歴史・時代小説論 3)吉村昭

 吉村昭は単に歴史小説家の一人という範疇に加えただけでは、彼の一面を語ったことにしかならない。それほど彼の執筆には多岐に渡る。具体的にはWikipedeiaをクリックし、彼の作品群を見ていただきたいが、個人的には「羆嵐」のような動物文学が私は最も好きだ。吉村はシートンのような動物記が書ける、日本では数少ない作家になるかもと私は期待していたが、吉村の目指した方向は「記録文学」だった。それは「戦艦武蔵」に代表されるような戦記文学を書いたことと、彼の戦争体験とは無縁ではないだろう。
 さて吉村の歴史小説だが、はっきり申し上げて「歴史の初心者」にはお勧めできない。まず、司馬作品やあるいは幕末について書かれた入門書にいくつか接し、準備運動(?)を済ませてから読むことをお勧めする。それほど、吉村の作品は難しいと私は感じる。
 その理由は吉村が史料収集を重視し、とことん調べ上げてから執筆し、史実以外は極力書かないという態度を取っているからに他ならない。読んでいても、ストーリーがあまり進まないのに、歴史的説明や史料が頻出するので、かなり歴史書を読みなれた者でなければ、読みこなすのは困難であろう。私は本に書き込みをしたり、興味の無い箇所は飛ばしたりしながら読んでいる。
 さらに吉村は好んで幕末を舞台にした作品を多く書いているが、前半は高山彦九郎・高野長英・大黒屋光大夫などの人物に魅了され、その人物の「評伝」を史実に基づいて忠実に書くという方向に進んでいたように思われるが、晩年の彼は人物よりも「事件」へ関心を寄せる。その一例を「桜田門外ノ変」のあとがきから見てみよう。
(七、八年前から桜田門外の変に関心をいだき資料集めをしていた私は、この事件を解明するには、井伊大老を襲った側から描く以外にない、と考えた。
 まず、私は、東京大学史料編纂所教授をされたこともある吉田常吉氏のお宅にうかがい、資料についての御教示をいただいた。氏は井伊家所蔵の文書研究によって「井伊直弼(吉川弘文館)」の著者もあり、「水戸市史」の編纂もされている。
 小説の主人公を襲撃現場の指揮をとった関鉄之介にしたのは、鉄之介に多くの日記が遺されていることを氏に教えていただいたからだが、その事件のすべてに直接ふれているかれを視点に据えたのは正しかった、と今でも思っている。)
 この文章は吉村の執筆態度を知る上で、きわめて示唆に富む。まず吉村は桜田門外の変を「解明」したいと考えていたことに注目しよう。歴史上の事件を「解明」するのは歴史家の仕事であり、小説家の仕事ではないと私などは思うのだが、吉村はそうは思わず、高名な学者のもとを訪ねる。そして主人公を関にしようと決める。関を書きたかったのではない、桜田門外の変という事件を書くのに誰を主人公にしようかと考え、関を主人公に選んだのである。
 しかし「桜田門外の変」には主人公がいるが、「生麦事件」には主人公がいない。イギリス人を斬った奈良原でもなく、その場の最高責任者である島津久光でもなく、あたかも「時代」が主人公であるかのように、物語は薩英戦争から馬関戦争へと続く。この本の帯には、「幕末小説の白眉・歴史小説の金字塔」とあるが、私はどうしてもこの賛辞に同調できない。これは小説じゃない、歴史の「概説書」にほんの少しだけ、登場人物の会話を加えただけじゃないかと、思えてならない。よって、読むのはかなり難儀を強いられるし、読んでいてもあまり面白くない。もっとも歴史家や幕末マニアはそうは思わないかもしれないが、小説としても愉しみたい私は、吉村(特に晩年の吉村)が苦手である。
 吉村はつくづく真面目な人だったんだなと思う。それはあとがきに取材協力者の氏名を明記して謝辞を表す点や、綿密な参考文献リストを掲載することからも伺える。
 司馬遼太郎は作品に謝辞や参考文献をいっさい掲載しない。その事情を知らず、ある郷土史家が「私の名前を先生のご本に載せていただけるのなら、喜んで史料をお見せします」と出版社を通じて申し出たところ、司馬は「じゃ、見なくていい」と断ったそうである。(これはどこに書いてあったのか調べてみたが、わからなかった。ここを閲覧した詳しい方に出典をご指摘いただければ幸いである)。また藤沢周平の作品には巻末に謝辞や参考文献が記載されていたり、いなかったりする。たとえば「蝉しぐれ」にはないが、「一茶」「市塵」には掲載されている。これは藤沢作品を読む際の目安になると考えていいだろう。すなわち、謝辞や参考文献があるのが史料を重視した歴史小説、ないのが史料より想像を重視した時代小説と。
 ところでこの参考文献だが、これを私は必ず読む。それは自分が執筆する際の大きな指針となるからだ。
 幕末について書きたいと考えた私は中公新書の人物シリーズを手がかりに、それから概説書、研究書と読み進めた。そしてある日、吉村の参考文献からではなかったが、そうか「市史」を読めばいいんだと気付いた。それから幕末の長州に関して下関・萩・山口・岩国の市史、それに山口県史を読んだが、下関市史と山口県史がきわめて内容が充実しており、大いに参考になった。吉村の巻末の参考文献を見ると、吉村は市史を重視していることが伺える。同じ道を志す者にとって、巻末に参考文献を載せてくれるのは実にありがたい。その意味においても私は吉村を大いに尊敬しているのだが、だからと言って、やはり私が吉村を苦手なことにかわりはない。
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17:こんばんは by むしみず on 2009/04/23 at 23:21:30

吉村昭への評価、結構手厳しいですね。
でも、おっしゃることも分かるような気がします。
以前、知り合いに吉村の作品(歴史物ではないですが)を貸したときに、返ってきた感想を思い出しました。知人が言うには、「これは小説ではない。なぜなら、作者の主観が見えないから。」とのことでした。それを聞いて、人の小説観もさまざまだな、と思ったことを思い起こしました。

18:手厳しいかなあ? by 高遠 on 2009/04/24 at 00:33:01 (コメント編集)

むしみず様

 読んでくれてありがとう。私が吉村を尊敬していることは文面から、また読んでくれたかどうかわからないけど、彼の影響を受けて史実に忠実に書いた「対馬島主宗義調」のような作品からも伺えると思います。ただ小説はやはり面白くないといけない、「フィクションを構築しない」といけない意識があり、その意味で、吉村の小説はどうしても面白くないと感じてしまうのです。

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