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歴史・時代小説論 4)吉川英治

 吉川英治は国民文学作家と称されることが多い。国民文学作家の定義は曖昧だが、日本人なら誰でもその名を知り、一度は読んだことのある作家をいうらしい。他に松本清張・司馬遼太郎もこのように呼ばれることが多い。しかし、この三人のうち現代ではもっとも読まれなくなったのは吉川だろう。松本はいまでも彼の原作によるテレビドラマが放映されるほどの人気だし、司馬が死んでからは「司馬さんが考えたこと」「司馬さんからの手紙」といった司馬追悼本(便乗本が正しいかも)までもがおびただしく出版された。いまでもこの二人の書籍(特に文庫本)を置いていない書店はまずないだろう。それに比べ、吉川は「宮本武蔵」「三国志」「新・平家物語」の作品名は覚えられていても、作者の名は忘れられた感があるのではなかろうかと、私は感じている。
 吉川は時代に恵まれた作家だと、私は思う。まず彼の年譜を見ていただければ、「宮本武蔵」と「三国志」が戦前に発表されたことがわかる。「宮本武蔵」の愛読者は一世を風靡した立川文庫のファンであったことは疑いようもなく、「三国志」の執筆に関して吉川が日中戦争に従軍し、その地に実際に立ったことは執筆に大いに寄与したであろう。また戦後、日中間は長く国交を断絶するため、戦前でなければ発表することは困難であっただろう。さらにまた「新・平家物語」は戦後の荒廃し、知識と娯楽に飢えた大衆に歓迎されたことも疑う余地はあるまい。
 しかし吉川作品の魅力は、その時代とのめぐり合わせだけではなく、実は無声映画の活動弁士のような(と言って、私はそれを実際に耳にしたわけではないが)、軽妙な「小気味のよい」語り口にあるんじゃなかろうか。また司馬はよく女が書けないと評されるが、吉川の書く女性が魅力的だったことが、吉川を国民文学作家とまで評されるほど人気を高らしめたのではなかろうかと、私は思っている。以下、三作品を見てみよう。
◎「宮本武蔵
 この作品のハイライトは吉岡清十郎・柳生石舟斎・佐々木小次郎といった剣士たちとの果し合いであることは言うまでもないだろう。しかし、作品に彩りを添えるのが女性たちの存在である。武蔵とともに関が原に参戦した又八の許婚だったが、又八に背かれ、やがては武蔵を慕うお通。武蔵をけっして許さずつけ狙う又八の母のお杉婆。又八を虜にするお甲。お甲の養女で吉岡清十郎に犯され入水するが、一命を取り留める朱美といった女性陣が武蔵を取り巻く衛星のように、あるいはレースクーイン(?)のように物語に彩りを添えている。特にお通の想いのいじらしさにはついついお通を応援したくなる。なお、お通は武蔵と結ばれるが、お通という名は吉川の創作である。
◎「三国志
 この作品の名場面は数知れないのだが、いまちょうどレッドクリフPartⅡを上映しているので、赤壁の戦いで諸葛孔明が風よ吹けと祈るシーンを書き写す。
(「われ、風を祈るあいだ、各々も方位を離れ、或いは私語など、一切これを禁ず。また、いかなる怪しき事ありとも、愕き騒ぐべからず。行をみだし、法にそむく者は立ちどころに斬って捨てるん」
 孔明は------そう云い終わると、踵をめぐらし、緩歩して、南面した。
 香を焚き、水を注ぎ、天を祭ることやや二刻。
 口のうちで呪文を唱え、詛を切ること三たび。なお黙祷やや久しゅうして、神気ようやくあたりにたちこめ、壇上壇下人声なく、天地万象また寂たるものであった。
 夕星(ゆうずつ)の光が白く空にけむる。いつか夜は更けかけていた。孔明はひとたび壇を降りて、油幕のうちに休息し、そのあいだに、祭官、護衛の士卒などにも、「かわるがわる飯を喫し、しばし休め」と、ゆるした。
 初更からふたたび壇にのぼり、夜を徹して孔明は「行」にかかった。けれど深夜の空は冷え冷えと死せるが如く、何の兆(しるし)もあらわれて来ない。
◎「新・平家物語
 この物語は平清盛をはじめとする平家一族だけでなく、後白河院・木曽義仲・源頼朝・義経といったさまざまな人物の視点で物語が展開する。それゆえ、とても長い。新聞に掲載されたが、七年の歳月を要した。しかし長いけども、読むだけの価値は現在でも充分ある。私の源平時代の基礎認識は、すべてこの作品によって形成されている。
 いろいろ紹介したい場面は多いのだが、吉川の筆の冴えを感じ取っていただきたいので、木曽義仲の正妻である巴御前と愛妾山吹の言い争いの場面を書き写す。
(「わらわは木曽殿の正室、もともと、そなたたちのように閨のお相手をする伽女とは違う。北陸の陣では、いくさの旅と、ゆるせぬ無礼もゆるしていたが、都では、ちと思い上がりも慎むがよい」
「正室様。ほほほほ。そんなものと肩を並べようとは思いもしませぬ。伽女と仰いますが、伏木の御陣までは、わたくしは、何も知らない処女(おとめ)だったのです。御無体は殿のお仕業。こんな身になったのも、殿がわたくしの運命(さだめ)をこうしたのです。ゆめゆめ、あなたの御身分に取って代ろうという野心はございませぬ。------ただ、山吹も女でございますからね、それだけは覚えおきくださいませ」
「女であったら、どうしやるか」)

 さて、吉川英治は大衆小説家とも称されるが、吉川の作品を読むと、当時の「大衆」の知的水準は平成の現代の大衆よりも、ずっと高かったんだなと思わずにはいられない。いまさかんに売れている佐伯泰英氏の居眠り磐音シリーズを読んだことがあるが、日本人の知的水準は大きく下がってしまったんだなと、感じずにはいられなかった。
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