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歴史・時代小説論 5)山本周五郎

山本周五郎を読んでみようと思ったのは、黒澤明の映画「赤ひげ」を観たからだった。黒澤映画は高校時代に「七人の侍」を観て以来、心酔し、ほとんどの映画を観た。しかし映画を観るだけでは飽き足らず、全集を買って、脚本まで読んでしまった。その影響からシナリオを勉強し、二本書いて公募に出したことがある。いま読み返すとあまりにお粗末な出来で顔が赤らむが、小説の執筆に少しは役立っているようである。
 さて映画「赤ひげ」だが、これは山本の「赤ひげ診療譚」が原作である。しかし、実に原作に忠実に作ってある。原作も映画も保本登(加山雄三)が小石川養生所を訪ねる場面から始まり、登が新出去定(赤ひげ・三船敏郎)に養生所に残ることを告げるシーンで終る。そのラストを比較してみよう。

原作:「おまえはばかなやつだ」
   「先生のおかげです」
   「ばかなやつだ」と去定は立ち上がった、「若気でそんなこと云っているが、いまに後悔するぞ」
   「お許しが出たのですね」
   「きっといまに後悔するぞ」
   「ためしてみましょう」登は頭をさげて云った、「有難うございました」
   去定はゆっくりと出ていった。

脚本:赤髭「お前はばかな奴だ」
    登「先生のおかげです」
   赤髭「若気で、そんなこと言っているが、後悔するぞ」
    登「お許しが出たんですね」
   赤髭「もう一度言う、お前は後悔するぞ」
    登「ためしてみましょう------有難う御座いました」
   赤髭「フン!」
 二人は養生所の門を入って行く。 
  
 以上のように、まるで間違い探しのようにほとんど同じである。よく小説を映画化すると原作のイメージを大幅にそこない、原作者はお冠、読者は白けるという話を聞くが、ここまで原作どおりに作られては、山本は大満足だったであろう。映画の中では、養生所に担ぎ込まれた病人たちのエピソードも原作に忠実である。
 私は映画を先に観て、原作を後で読んだためか、映画ほどは感動しなかった。それでも作品に漂う人間味に惹かれ、「さぶ」「五ベンの椿」他いくつか読んでみた。しかしいずれも二十数年前のことなので、ほとんど記憶にない。「さぶ」に登場する、身を持ち崩す栄二のことが少し記憶に残っている程度である。「さぶ」については好意的なレビューが多いので、感想を読まれたい方はクリックしてください。
 私が山本に入れ込まなかったのは、「時代小説よりも歴史小説が読みたい、歴史に詳しくなりたい」という思いからである。それで司馬遼太郎ばかり読んでいた。司馬の影響で戦国・幕末が好きになり、江戸時代を苦手に感じたのも読まなかった理由である。同様の理由で池波正太郎はぜんぜん読んだことがない。
 また山本は「樅ノ木は残った」「正雪記」などの歴史小説を書いているが、「樅ノ木は残った」は途中で挫折した。仙台藩と支藩の関係がよくわからず、登場人物になじみも感じず、五分の一ほどで読むのを止めた。
 それでも山本を取り上げたのは、作品に漂うヒューマニズムを書かせたら、やはり山本の右に出る者はいないんじゃないかなと評価するからである。私は作品と作者の人間性は異なっても何らかまわない、言い換えれば人間の善行を書く作家が「善人」じゃなく、「大嘘つき」でもいっこうにかまわないと思う。しかし山本の場合は、彼の善性が作品に色濃く反映されているように思われる。山本の善性は、丁稚奉公した質屋の主人の名が「山本周五郎」であったり、直木賞を「若い人に譲ってください」といって辞退したというエピソードからも充分に察せられると考える。

*後日追記
 山本は映画「赤ひげ」を観たんだろうかと気になって山本の没年と映画の公開時期を調べたら、映画は山本の没する二年前に公開されていた。ウィキペデアによれば、映画を観た山本は「原作よりいい」と誉めたそうである。私も原作より映画のほうがいいと思ったが、一般的に原作者はあまり映像化された作品を素直にほめないんじゃないだろうか、理由は「悔しい」から。私はまた山本が好きになった。
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