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歴史・時代小説論 6)まとめ

 司馬遼太郎・藤沢周平・吉村昭・吉川英治・山本周五郎の五人の大作家の作風を通じて、歴史・時代小説とは何ぞやということをこの小論では考えてみようとしたのだが、その答えは、結論から言えば出なかった。そもそも無謀な試みだったのかもしれない。しかしながら、五人の作風の違いはよくわかったので、ここでまとめてみたい。
 司馬遼太郎を五人の中では私は最も読んだ。それは小説だけでなく、対談や随筆、「街道を行く」もかなり読んだ。それだけに司馬に対して、私の筆は他の五人よりも厳しかったかもしれない。司馬の影響はきわめて大きい。それはどうやら私だけではないらしい。先日、ある作家が(名前を思い出したら、後日記入する)徳川家康を脇役として書く必要があり、司馬が「関ヶ原」の中で、家康は城攻めに弱く、野戦に強いと書いているため、それを信じ込んで史料調べをしたら、ぜんぜん違う記述ばかりに出会ったので困ってしまったと書いていたのを、思い出した。司馬とて神様じゃないので、間違いがあるのを責めようとは思わない。しかし、歴史の入門書として面白く読むのはよいが、あまり「鵜呑み」にするのはいかがなものかなというのが、いまの私の見解である。
 と言って、司馬の魅力である博覧強記や、文章の読みやすさ、それにタイトルのセンスの良さ(たとえば「坂の上の雲」「菜の花の沖」など「の」を重ねる)などは超一流であり、多くのファンがいるのは至極当然だと思う。
 藤沢周平は最近、山田洋次が彼の作品を次々と映画化しているが、私がいま最も好きな作家である。ただ私は「作品に惚れて、作家に惚れない」を信条としているので、藤沢だからと言ってみな高く評価しているわけではない。しかしながら彼の人間描写、心理描写はけっして古びることなく、彼の作風は今後も新たな書き手によって継承されてゆくと考えている。たとえば藤沢が城山三郎の朝日新聞に掲載された「毎日が日曜日」に影響されて書いたと告白している「三屋清左衛門残日録」には、妻に先立たれ、息子の嫁と同居する舅として清左衛門が登場するが、この舅の心情などは現代でも充分に通用するモチーフであると考える。
 吉村昭は史実に誰よりも忠実な作家であったと考える。しかし吉村は歳を取れば取るほど、たとえばタイトルからして単なる人名や事件名になってしまったように、小説の持つ「虚構性」までも排除したかったかのように思えるのが、残念でならない。たとえば「彦九郎山河」と「高山彦九郎」、「長英逃亡」と「高野長英」ではどちらが小説として、読んでみたいと読者が感じるかは論ずるまでもないと考える。
 吉川英治の魅力は物語性にあると考える。ミステリー作家に対してよく「ストーリーテラー」といった賛辞が贈られることがあるが、吉川は間違いなく、その一員に加えられるべきだと思う。無論、吉川が「三国志演義」や「平家物語」といった種本を基に書いたことは否定しないが、それをいえば歴史小説家はみな何かしらの歴史という「種」を基に小説を書くのである。信長が本能寺で死なず、石田三成が関ヶ原で勝ってしまったら歴史小説にはならない。ただそれをいかに自家薬籠中に取り込むかにおいて、吉川ほど筆力のある作家は稀であると考える。
 山本周五郎の魅力は何といっても、その作品にあふれるヒューマニズムであろう。人情紙風船といわれるごとく人情が薄くなった現代でも、山本の作品は常に読み続かれてゆくと考える。しかし、私はこの五人の中では特に山本の作品を読んだ量が少ないので、言及はこの程度で終らせていただきたい。
 さて本題であるが、歴史小説家はどこまで歴史に忠実であるべきかということに対して、作品の中で答えを出した作家がいるのを、私は知っている。中島敦は「李陵」の中で司馬遷に何よりも「事実」が欲しいと語らせ、さらに「述べる」と「作る」について次のように語らせている。その部分を振り仮名と異体字の説明があって読みにくいが、青空文庫から引用することでこの小論を終えたい。 

 項王|則《すなわ》チ夜起キテ帳中ニ飲ス。美人有リ。名ハ虞《ぐ》。常ニ幸セラレテ従フ。駿馬《しゅんめ》名ハ騅《すい》、常ニ之《これ》ニ騎ス。是《ここ》ニ於《おい》テ項王|乃《すなわ》チ悲歌|慷慨《こうがい》シ自ラ詩ヲ為《つく》リテ曰《いわ》ク「力山ヲ抜キ気世ヲ蓋《おお》フ、時利アラズ騅|逝《ゆ》カズ、騅逝カズ奈何《いかん》スベキ、虞ヤ虞ヤ若《なんじ》ヲ奈何《いか》ニセン」ト。歌フコト数|※[#「門<癸」、第3水準1-93-53]《けつ》、美人之ニ和ス。項王|泣《なみだ》数行下ル。左右皆泣キ、能《よ》ク仰ギ視《み》ルモノ莫《な》シ……。
 これでいいのか? と司馬遷は疑う。こんな熱に浮かされたような書きっぷりでいいものだろうか? 彼は「作ル」ことを極度に警戒した。自分の仕事は「述ベル」ことに尽きる。事実、彼は述べただけであった。しかしなんと生気|溌剌《はつらつ》たる述べ方であったか? 異常な想像的視覚を有《も》った者でなければとうてい不能な記述であった。彼は、ときに「作ル」ことを恐れるのあまり、すでに書いた部分を読返してみて、それあるがために史上の人物が現実の人物のごとくに躍動すると思われる字句を削る。すると確かにその人物はハツラツたる呼吸を止《や》める。これで、「作ル」ことになる心配はないわけである。しかし、(と司馬遷が思うに)これでは項羽《こうう》が項羽でなくなるではないか。項羽も始皇帝《しこうてい》も楚《そ》の荘王《そうおう》もみな同じ人間になってしまう。違った人間を同じ人間として記述することが、何が「述べる」だ? 「述べる」とは、違った人間は違った人間として述べることではないか。そう考えてくると、やはり彼は削った字句をふたたび生かさないわけにはいかない。元どおりに直して、さて一読してみて、彼はやっと落ちつく。いや、彼ばかりではない。そこにかかれた史上の人物が、項羽や樊※[#「口+會」、第3水準1-15-25]《はんかい》や范増《はんぞう》が、みんなようやく安心してそれぞれの場所に落ちつくように思われる。

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