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46:大変な時期だったんですね。 by shinoper on 2009/06/23 at 21:17:43 (コメント編集)

私は、上海でホテルに缶詰になってました。
すぐに、解放されましたが...

今中国に行っておられる方は、当時の中国は想像できないでしょうね。

47:中国からすっかり離れて by 高遠信次 on 2009/06/23 at 23:41:18 (コメント編集)

最近は中国からすっかり離れてしまったので、このブログには中国関係のことはほとんど載せていません。ただ書評に杉本元上海総領事と芥川賞作家の楊逸氏の著作についてコメントを載せている程度です。よかったらお読みください。

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天安門事件から20年

 1989年6月4日の天安門事件から20年を迎える。私はあの事件の4ヵ月前からたった一人の駐在員として北京に滞在し、6月8日に帰国した。
 帰国してからはリストラにあって7月末に大阪の会社を去り、同年の12月に元上司に請われて広島の同業他社に就職した。その意味において、この事件は私にとって人生のターニングポイントである。この事件に遭遇しなければ、私が広島に住むこともなかったかもしれない。
 1989年6月4日の前日の夜、私は東京本社から出張に来た同僚を空港に出迎え、前門の焼肉店で食事を取っていた。しかし食事を終え、事務所のあったホテルに戻ろうとしたが、タクシーがなかなかつかまらず、専用の運転手を帰宅させたことを後悔していた。やっとタクシーをつかまえて乗り込んだが、街は人の群れ、特に天安門広場の北を走る長安路は西から東へ向かう群集でごった帰していた。タクシーの運転手が「人民解放軍が来た」「戦車が来たぞ」と興奮して叫ぶ群衆の声を耳にしたため、長安路のかなり東を迂回させて、ようやくホテルへたどり着いた。
 翌朝、東京本社からの電話でたたき起こされ、それからは電話をあちこちへかけまくり、かつ電話が鳴りっぱなしだった。その間にも銃声の乾いた音が北京の空にこだまするのを耳にした。
 当時はパソコンも携帯電話もなく、たまに2日遅れの日本の新聞を読むか、外資系ホテルの衛星放送をたまに見るかしか、情報を入手できなかったので、北京にいた私より、日本から来た同僚のほうが情報に通じていた。戒厳令が出されていたが、デイスコやカラオケ店は相変わらず繁盛していたし、デモを応援し、募金する市民の姿も多く眼にした。
 学生たちに占拠された天安門広場にも何度か行ったが、あちこちにテントが張られ、煮炊きをする姿が見られ、まるで「キャンプ」のようだったというのが、私の印象である。「自由の女神」像というのも目にしたが、ちゃっちいなという印象を抱いた。その前で記念写真を撮るカップルも多くいて、まるで「お祭り」のような熱気だった。
 しかし人民解放軍が北京の西に集結を始めたという情報を、かつて人民解放軍の兵役に就いていた運転手から耳にしていたので、外出は控えるように私は忠告されていたが、その夜は同僚が北京を訪ねた嬉しさもあって、その忠告に従わず、あやうく人民解放軍の「水平射撃」を体験するところだった。
 帰国便の予約がなかなか取れなかったが、ようやく全日空の特別機の座席が取れ、その機中で、私は日本の新聞を読みふけった。そして初めて知ることが多かった。特別機は成田ではなく、羽田に到着し、空港には会社の役員が出迎えに来てくれていた。東京のシテイホテルでテレビをつけると、「水着女相撲大会」というのを放送していて、日本はつくづく平和だなと感じたことを今も覚えている。
 しかし、あの日から20年も歳月が流れた。今朝の新聞にあの当時の活動家の一人であるウアルカイシ氏が中国に帰還するという記事が載っていたが、まるで武蔵丸のように太り、たるみきった彼の顔写真を見て、歳月は人間を鍛えるばかりではないと感じた。あの当時の活動家と呼ばれた人物が欧米に亡命し、どんな日々を過ごし、いまもどんな活動に従事しているかを私は知らない。しかし、中国の経済発展やオリンピック開催という現実優先の前に、彼らが熱く唱えた「愛国」「民主」といった理想が敗北せざるをえなかったとしたら、それは天安門広場で群衆が銃口から逃げまわったこと以上の「敗北」ではなかろうかと、天安門広場でわずかながら募金に応じた者の一人として言わせていただきたい。

翌日追記:ウアルカイシ氏はマカオから中国へ入国しようとしたが、マカオの入関が入国を認めず、台湾へ送り返したそうである。彼を拘束することで予想される国際社会からの反発を恐れたためだろうが、ただ「厄介払い」をしたかっただけだろう。もっとも入国を認められないことをウアルカイシ氏が予想してのパフォーマンスだったのかもしれない。天安門事件で拘束され、獄につながれた経験を持つ活動家たちは、このニュースを耳にしてどんな思いを抱くのであろうか?
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46:大変な時期だったんですね。 by shinoper on 2009/06/23 at 21:17:43 (コメント編集)

私は、上海でホテルに缶詰になってました。
すぐに、解放されましたが...

今中国に行っておられる方は、当時の中国は想像できないでしょうね。

47:中国からすっかり離れて by 高遠信次 on 2009/06/23 at 23:41:18 (コメント編集)

最近は中国からすっかり離れてしまったので、このブログには中国関係のことはほとんど載せていません。ただ書評に杉本元上海総領事と芥川賞作家の楊逸氏の著作についてコメントを載せている程度です。よかったらお読みください。

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